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まぁ社長の思考や趣向を置き去りにする会社概要ページです。
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6/19(金)19時頃
愛するゆずが私の元から旅立ってしまった。

長くなるので時間の許す時にでも読んでもらえたら幸いです。



夕方、いつも通りにゆずを病院へ強制連行した。

予約は17:45からで、仕事を早めに切り上げて
17時には家に帰っているつもりだったんだけど
思ったよりも帰り際に立て込んでしまい結局家に着いたのは
17:30だった。
ゆっくりと『ただいま』って優しく撫でてやる事も出来ず
ばたばたと慌ててケージに捕獲し病院へ向かってしまった。

昨日の夜も、今日の朝も殆ど食べ物を受け付けてくれず、
ほんの少しだけのおやつを食べてくれていた。
体力も落ちていたのか元気も無く、心配だったので
本当は日中のうちに病院へ連れて行ってあげたかったんだけど
都合がつかず夕方の予約時間まで留守番させる事になった。

具合悪そうな愛猫を留守番させながら働かなきゃならないのが
毎回とてもつらい。通院も予想より頻度も多く大変だった。
介護の大変さをある程度想定はしてたけど、実際動けない日もあって
ストレスと疲労感と焦燥感がいっぱいだった。

病院着いてケージの中のゆずの様子をずっと覗きながら順番を待った。
前に、興奮と緊張から待合室で口呼吸になったので心配だった。
間もなく診察に呼ばれ問診と処置をしてもらい胸水を120㏄抜いてもらった。
貧血と虚弱症状改善の為に栄養点滴とステロイド注射も一緒に打ってもらった。
『これで少しはごはんも食べてくれるようになるかもしれない。』
闘病大変だけど頑張ろうねと希望を抱いて処置してもらってはいたものの
この所、一日おきの通院では少しの胸水しか溜まっておらず
それを抜いてもゆずの様子は結構しんどそうで、家でも本当におとなしくて
ほとんどの時間をじっとしている事が増えていた。
転移などから呼吸器機能自体が既に正常な状態じゃないだろうとの見立てで
もう、いつ急変してもおかしくないかもしれないです、との話だった。
じゃあ、だからと言ってどこまで緩和ケアを続けるのか?を判断するのは
まだ今じゃないと思った。私がやめない限りゆずは頑張って生きてくれる。
たくさん苦しい時間や嫌いな病院もあって嫌な思いをすると思うけれど
エゴであってもそれでも判断するのは今じゃないと思った。
処置継続の為に二日後の日曜日に次回予約を入れた。

診療が終わったのが18:26。
帰りの車では相変わらず激しく鳴いていて『早く出せー!!帰るー!!』って
腕をケージから出しては運転する私を触っていた。


18:46頃
家に着いてケージから解放し少しすると、急にぐったりとした感じで横になった。

『病院頑張ったから疲れたの?』
と話かけて、しばらくはそっとしておいてあげようと思い
少し離れた場所からゆずの様子を見守ってた。
だけどその姿勢は今まで一度も見た事が無くて
『なんだか様子が変だな?』と感じてた。
奇妙なその様子をのんきにも写真を撮ったりしてた。

病気発覚以来、写真や動画を撮影している事が多く、理由は
楽しい時間もつらい現実も全部記録に残しておきたかったのと
ゆずの心配してくれて仕事の休みの全部を私の家まで来て
ずっと看病し続けてくれてた彼に今の様子を報告してたから。
あとは病院で診てもらった時報告する為に記録してたり。
でも苦しそうな時に撮影なんかしてた事、今は本当に後悔してる。


19:05あたり
横になってたゆずが急に起き上がって、こっちのほうを向いて座った。
『あ。動いた。』と同時に、これは『だめかも』と一瞬で感じた。
起き上がって間もなく部屋をうろうろし出し、段々と呼吸が荒くなって
激しく口呼吸になった。ゆっくりと部屋を徘徊しながらゆずは失禁してた。
19:10
もがくゆずを慌ててケージに入れながら病院へ短い電話をかけた。



そして、車の助手席でケージの中で目を見開いていて
既に殆ど反応が失われている様子のゆずに一生懸命
『あいしてる、愛してるよ、ゆず』って声をかけ続けた。

病院は診療時間が既に終わっていたが、対応してくれた医師や受付の方が
扉を開けて到着を待っていてくれた。
すぐに身体をマッサージしながら診てくれたけど、
既にゆずは、脈も呼吸も心臓も止まっていた。

家に戻ってきたのは19:30だった。
動かなくなったゆずが入ったケージの扉は閉めずに連れて帰ってきた。

さっき帰ってきた時に沸かしたポットのお湯がまだ温かくて
お湯が冷める時間も経たないような短い時間で、
あっという間にこの世界からゆずが旅立ったなんて嘘みたいだった。
次の病院の予約もしたし、週末は一緒にいっぱいゴロゴロするはずだった。
トイレの砂は昨日交換したばっかできれいにしてあったし、
少しでも食べて欲しくて大好物のおやつを沢山買ってあったんだよ。


ココロも頭も理解出来てない。
3年以内の再発に気を付けてって言われてたのに
手術もしてあげれない程に進行してしまっていた。
気付いてあげれなかった。死なせてしまった。
病院へいっぱい連れていって嫌な事たくさん我慢させて
それでも結局助けてあげられなかった。何も出来なかった。

病気の再発が判明した時、余命は1年以内だろうって言われた。
でも『365日の360日くらいは一緒に生きていられるかも』って
勝手に信じ込んでた。なのにこんなに急に逝くなんて、嫌だよ。

心臓には石ころが詰まったみたいだった。
最後の瞬間、苦しかったのであろう見開かれた目を優しくそっと閉じ
汚れてしまった身体を丁寧に拭いてキレイにした。
そして、まだそこにぬくもりがあるうちに沢山たくさん撫でてあげた。

病院で死亡確認してもらって帰ってくる時は泣かなかったのに
柔らかなゆずを撫でていると涙が溢れて止まらなくて
本当に悲しくて苦しくて堪らなかった。

金曜の夜の出来事はタイミングを計ったみたいだった。
お寺は定休日だったけれど、週末は休みだったから
すぐに手続きの連絡だけして明日の土曜に火葬を行う事にした。
今晩はゆっくりと一緒に最後のお別れを過ごせるんだね。
先住猫の時もそうだったけど、どうしてウチの猫たちは
私に全然迷惑をかけずに逝くのだろうと思った。


5/20(土)14:00頃
先住猫でお世話になったお寺にて火葬を行った。
朝起きた時、体はすっかり固く冷たくなってたけど
その姿からは、まだ隣で寝坊のゆずが寝てるだけみたいだった。


最後のお別れの時でも、ほんとにただ寝てるだけのように思えた。
痛みも苦しみも無く、最期の力できっとガンをやっつけたよね。


とても天気の良い日で、透き通るほどの青空が広がってて、
きっと天国まで道に迷わずまっすぐに登っていけるね。



あいしてる。


たくさん、たくさん、愛してる。

大好きなゆず。大切なゆず。
最後に私の声はちゃんと届いていたのかなぁ
『愛してるよ』って聞こえていたらいいなぁ



いつかお迎えに行くその時まで、先に虹の橋で待っててね。
12年間、私と一緒にいてくれて本当にありがとう。
■病院代の備忘録(税別)■
2020/06/19 通院(処置)
・処置料¥2.500
・皮下点滴¥1.200
・注射¥700

■火葬の備忘録(税込)■
2020/06/20 火葬(個別一任)
・火葬/返骨/骨壺など一式¥15.400
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ご紹介。
カンパニー社長。 (汗)
HN:
まぁ社長。
年齢:
42
性別:
女性
誕生日:
1982/09/24
職業:
社長。(/㍉)
趣味:
妄想。
自己紹介:
いつの間にか
BBAになりました。(´・ω・`)

素晴らしき人生謳歌中。
実家出戻り居候暮らし。
ぼっちがとても幸せ。
2匹の愛猫持ち。((=゚Д゚=)
にゃん愛。

虚弱体質 兼 忍耐性質。

食べる事 寝る事
人と楽しく過ごす事
どこかへ行く事
どこへも行かない事

全ての事に日々感謝。
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